あなたが生まれたのは、予定日の2週間近く前でした。
初めての出産を控え、私は実家に里帰りしていたのですけれど、深夜にその兆候があった日は、私の父が出張に行く日でもありました。
いざという時に、病院への足がないといけないから…と、少し早いけれど…と明け方に入院したものの、一度は陣痛が遠のいたりして出産は夕方となったのでした。
幼いころはあまり丈夫ではなく、季節の変わり目などには喘息の発作を起こしていましたね。
熱を出すと、3日は幼稚園や学校を休むことになり、『いい体格をしているのにね。見かけ倒しだね』なんて言われたこともありました。
それでも成長するとともに丈夫になり、学部生から博士課程までの長い過酷な研究生活にもしっかり耐えられるようになりました。
その7年間に心身ともにとても鍛えられましたね。
強くたくましくなったこと、本当に嬉しく思っています。
好奇心旺盛で、いつも何か楽しいことはないかとアンテナを張っているような子でした。
次は何をしようかと、前のめりに生きているような子でもありました。
怪我も多く、身の回りの整理整頓ができなくて、心配もたくさんしてきたように思います。
『僕が! 自分が!』という態度を時折見せていたあなたが、少しずつ変わっていったのは、高校時代でした。
部活で怪我をして、思うようにスポーツに参加できなくなったとき、仲間たちのトレーニングや練習のサポート、審判などに回ったのでしたね。
そして、人を陰で支えることの大切さを学び、自分もたくさんの人たちに支えられてきたことを知ったのでした。
あのときのあなたの苦しみ、辛さ、深夜に私のパソコンに送ってあったメールの文面を思い出すと、今でも胸が痛みます。
それでも、あのときの経験は大きな糧になったのだと信じて、今まで暮らしてきたことは間違ってはいないと思います。
幼いころから「家庭の医学」が好きでした。
小学生のころから、理科の実験が大好きでした。
その興味がずっと変わらず、高校でも大学でも学び続けてきた時間は、あなたの財産ですね。
最終的にはその知識を活かすことのできる就職先を選び、東京を離れました。
研究生活で忙しかったときに私が体調を崩したことがありました。
そんな日に限って、夫も次男も不在で。
その頃は忙しくて、なかなか家に帰ってこられない生活をしていたのに、夜8時頃帰宅したかと思うと、『お雑炊作るから、少しでも食べなよ』と言ってくれたことがあったのを覚えているでしょうか?
心優しい青年に育ってくれたこと、本当に感謝しています。
自分には厳しいけれど、他人には優しかったり、精神的に安定してタフな人になっていたり、いつの間にかすっかり追い抜かれたな…と思う場面もよくあります。
次男にも言えることですけれど、自分たちの一番やりたいことを学び、仕事としていることは誇らしげに見えますし、私も誇らしく思います。
『この道でがんばる』と決めてから何年も、地道な努力を続けてきたこと、本当にぶれずに歩み続けてきたこと、それは私の持ち得なかった力です。
今、私が日々思うのは、若い頃から『これ』という何かを学び続けてくればよかったということだったりしますから。
『私の専門はこれです』と胸を張って言える何かを持って生きてゆける、これはとても幸せなことなのだと思います。
でもその幸せは、やっぱり本人の努力で掴みつつあるのだとも思います。
超一流の人物ではなくとも、こつこつと努力を積み重ねられる人になっているように見えることは、私の大きな喜びでもあります。
春に東京を離れて、あっという間の半年間でした。
新しい環境にもすぐになじみ、これまで何年も忘れたようになっていた『お休み』というものの存在に戸惑いつつも、少しずつ新たな楽しみを見つけている様子、一生懸命自炊をしている様子、もう安心して見ていられます。
いいトシですから当然ですけれどね。
お誕生日おめでとう!
遠く離れた東京から、感謝を込めて。
ちなみに、お誕生日ごはんは大好きな唐揚げにしたそうです。

お誕生日っていったら唐揚げかなって
仕事から帰ってきて作ったのね…マメですこと。
ビールも買ってきて準備万端。
自分で自分をお祝いできるのも、幸せな証拠かしらね?