昨日、ブログの記事(→ クリスマスですけれど実家へ行ってきます)を書き、少し家事をしてから出かけました。
18時前に実家に着いてみると、出迎えてくれた父は思っていたより元気そうでした。
『今日は症状がわりと治まっているんだよ』とのこと。
それから体調が優れなかった間の状況説明を《ふんふん》と聞き…。
うかつに口をはさむと、また口論になりかねない未熟者親子ですから、ここは黙って聞きます。
話だけを聞いていると、よくあることのようでもあるのですけれど、症状が長引いたり繰り返したりしているのは、やはり気になりました。
『とにかく明日の検査結果を待つしかないね』とできるだけ明るく言うのが、私にできる精一杯。
検査の準備のために5時起きの今朝、出かけるまでには十分な余裕があります。
何をするわけでもありませんので、こういうときって本当に手持ち無沙汰ですね。
予約時刻の15分前までに病院にいるようにとのことだったのですけれど、これまた心配性の父はさらに余裕を持ってタクシーを呼び…予約時刻1時間前に病院に着いてしまいました。
ここでまたまた手持ち無沙汰…。
そして病院ではありがちな話…検査開始が30分遅れになり、もう持て余す時間ばかりが過ぎていく感じでした。
内視鏡検査の結果はおかげさまで《異常なし》でした。
特に症状を起こすような所見は見られないとの診断で、深刻な病気でなくて本当によかった!と嬉しい気持ちでいっぱいです。
ただ、それならどうして症状が起こるのか…?という疑問は残るわけで…。
お医者さまの説明によると、服用しているお薬の副作用の可能性は捨てきれないとのことでした。
でも、そのお薬は止めてみて様子をみるというわけにはいかない類のもの。
飲み続けるしかありません。
今後も症状が続くようであれば、手術を受けた病院とも連携していくことになるようです。
父が心底納得したかどうかは別として、私としては一安心です。
でもね、私がちょっと思ったこと。
父も母も《寂しん病》なのかもしれないな…と。
もともとの知り合いがいるわけでもない土地で2人で暮らしていて、話し相手もほとんど夫婦だけ。
新しい話題がそうそうあるわけでもなく、大笑いしたりとても楽しかったりすることがそうそう起こるわけでもない暮らし。
そこへ何か体調不良が起これば、もうそのことばかりが気になるのは容易に考えられることです。
(ま、父が人のアドバイスを聞くタイプではない…ということは置いておいても)
母も父の気持ちに連動してしんどくなるタイプですから、そんな過ごし方をしているうちに、さらに体調も気持ちも落ちていっているのではないかと思うのです。
なぜそう考えたかというと、私が顔を出してみると、父の体調は落ち着いているわけで、疲れ果てているという母もそこそこ元気で笑顔なのです。
父は日々自分の体調のことを母に訴え続けていたと思うのですよね。
母はそれを溜め込んでいくしかなくて…。
父は私にも話すことでちょっと気持ちの荷物を下ろし、母は日々の愚痴をこぼすことでちょっと気持ちが楽になり…だったりするのかなぁと。
それに、私が行けば孫たちの楽しい話も聞かせることができます。
ただちょっと困っているのは、そういう状態のときの両親が私にしか来て欲しがらないことなのですね。
夫や息子たちも、何でも手伝いたい、付添が必要なら自分が行ってもよいといつも言います。
そこまででなくても、少し顔を見せて話をしたり聞いたりしたいと言います。
それは、両親のためでもあり、私一人に負担がかかることへの心配からでもあるのだと思います。
それなのに、両親は《それはまた今度》と言うのですね。
私としては、私にも私の家族にも同じように頼ってほしい、何かあったときに私にしか頼れないようでは、共倒れしてしまうと思いますし、そう言ってもいるのですけれど。
元気な姿しか見せたくないという気持ちも、わからないではありません。
でもそんなことを言っていては、これから先はどんどん会えなくなってしまいます。
これからは、時間がかかってもそのあたりを納得していってもらえるようにしないといけないと思っています。
特に問題もなく、必要なケアもないということでしたので、私も帰宅することにして夕方家に着きました。
とりあえず、年末年始を落ち着いて過ごせそうでホッとしています。
このまま、穏やかに年越しをしたいものです。
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