5月の連休明け、退勤途中に自転車に乗っていて、車との接触事故に遭った長男。
(→ 刺し子ふきん『なでしこ』の進捗と怪我がなくてよかった話)
その後、あとに残るような怪我もなく、通院の必要もなく心底ほっとしていたのですけれど、事故の数日後にその自転車が盗難に遭ってしまったのですね。
(→ トラブル続き)
連休前にもちょっとしたトラブルがあり、その自転車の盗難は張り詰めていた心の糸がぷつんと切れてしまうほどのできごとでした。
思い出がたくさん詰まった大切な自転車、たとえ事故のせいで乗れなくなったとしても自分で納得のいく決着の付け方をしたかったと本当に落ち込んでいました。
保険会社を通じての手続きも、何だか妙に時間がかかり様子がわからずにいて、少しやきもきしかけていました。
そんな今月初め、盗難に遭った自転車が見つかりました。
素人が一見したところ、修理すれば乗れるのではないかというかすかな望みが持てるような状態で…。
自転車屋さんで細かく点検していただいたところ、フレーム自体に歪みがあるということで廃車にせざるをえなくなったのですけれど、自転車が手元に戻ってきたことで、本人の気持ちはかなり落ち着いたようでほっとしていました。
その後、保険会社との手続きも順調に進み、先日ようやく病院と自転車の件について賠償の決着がついて一件落着しました。
2か月以上という日数が普通なのか長いのか、よくわかりませんけれど、とても長く感じた日々でした。
大きな事故ではなかったとはいえ、本人は動揺したと思います。
もちろん、離れて暮らしている私も動揺し、どう励まそうかといつも考えていました。
『一度そちらに行こうか?』という問いかけにも、『今はこういう時期だし、来てもらっても多分してもらえることはないから』との答え。
もちろんその通りなのですけれど、何かできることはないかと焦ってしまっての発言でした。
あぁ、こんなことではダメだな…。
きちんとひとりで対応できるのに、家を離れた息子にまで何か手助けを…とすぐに慌ててしまって。
とにかく、気持ちが立ち直ってきているのか、身体は元気なのか、それだけが心配で、でも直接そうは聞けなくて、LINEのやりとりではお料理の話、野球の話、休日の過ごし方の話、ゲームの話などの雑談から様子を探ろうとしていた2か月間でした。
《ごはんをちゃんと食べているから大丈夫》
《プロ野球の試合をはしごして見て、その結果のやりとりができるくらいだから大丈夫》
《休日も早起きして家事をして、作り置きなどもして、ランニングやトレーニングをしているみたいだから大丈夫》
《新しいゲームを買おうかな…なんて言っているくらいだから大丈夫》
ささやかなやり取りの中から、《大丈夫》の要素を探し、私も少しずつ安心の量を増やしていった感じでした。
同じ家に暮らしていて、さまざまなことが見えてしまう生活にも辛さや苦しさを伴うことがあるでしょう。
離れていて文字のやり取りでしか様子がわからない生活にも、心配や辛さが伴うことがあります。
逆に、見えるからよいこと、見えないからよいこともあるのでしょう。
《もういい年をした大人なのだから》と呪文のように自分に言い聞かせていても、言葉の端々に幼い頃の面影を見つけてしまう。
きっと夫の母も私の母もそういう思いを抱えながら、見守ってきてくれたのだろうな…そう思うことが増えました。
とにかく身体を大切に、心を大切に、できるだけたくさんの笑顔で生きていってほしいと願っています。
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