11時頃、急に空が暗くなってきて遠くから雷鳴が聞こえてきました。
あ、きたな~と思っていましたら、雷鳴はどんどん近づいてきて、そのうち雨も降ってきました。
お昼ごろにはバリバリとものすごい音⚡
仕事中だった夫も私も、会社に一旦パソコンをシャットダウンしますと連絡を入れて、電源を落としました。
外部とつながっている線はできるだけ外して…。
雨が上がってからお買い物に出かけましたけれど、気温がずいぶん下がっていて驚きました。
自然の力って、すごいのね~。
まだ遠雷は聞こえていましたけれど、我が家付近はそのまま落ち着きました(*^^*)

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さて。
数年前から、我が家では実家の両親のこれからの暮らし方について考えてきています。
ずいぶん時間をかけるのね~と思われるかもしれませんけれど、ただ話が進まないだけ…(^_^;)
備忘録も兼ねて、高齢の両親のこれから先の人生を整理していった経緯を残しておこうと思います。
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両親の現状
父も母も現在87歳です。
ごく普通の分譲マンションに2人で暮らしています。
車で20分くらいのところに弟夫婦が住んでおり、我が家からは約2時間の距離があります。
父は一時期介護認定を受けて要支援1の状態でした。
心臓のバイパス手術を受けた頃です。
でも今は、自立の状態です。
まずまず元気で、2時間くらい歩いたりするのも平気なようです。
ただ先日、一緒にスーパーに行った時、《歩くのが遅くなったな》と感じました。
母は要介護1。
要介護2だったのが、前回の介護認定で介護度が下がってしまいました。
繰り返した圧迫骨折の影響で、背中が丸く曲がってしまっています。
外を歩くときにはシルバーカーが必要で、家の中では伝い歩きとよちよち歩きで移動しています。
また耳がとても遠くなっており、補聴器も使っていますけれどあまり役に立ってはいない様子。
固定電話やスマホ、インターホンが鳴っても聞こえないくらいの耳の悪さです。
なぜかスマホの音声は比較的聞こえやすいようで、私との電話はスマホです。
それでもやっぱりだんだん耳が悪くなっているのは事実のようで、最近はスマホでもなかなか会話が成り立ちません。
大事な話のときには、父と代わってもらいます。
両親の暮らし
食事の準備は母がしています。
生協さんの冷凍食品やお惣菜なども駆使して、食卓を整えているようです。
一時期は父もキッチンに立ってお料理を担おうとしていたこともあるのです。
ただ、母はお料理の手順をとても細かく決めていて、父にもそれを要求します。
また味の好みや味付けの濃さにも、とても執着します。
ですから、父はだんだん手が出せなくなってしまったというのが現状です。
父は『自分の食事だけならどうにでもなる』と言います。
簡単なお料理はできますから、自炊してもよいですし、近所のスーパーの手作りお惣菜がとてもおいしいですのでそれを利用してもよいですし。
でも母の好みと作り方に合う食事を作るのは、無理だと言うのですよね。
私もそうだと思います。
食事作り以外の家事は、ほとんど父がしています。
それはそれは手際がよくなって、驚くほどです。
そしてこれに関しては全く苦ではないと言ってくれるのがありがたいです。
もう3~4年前から同じような状態が続いていて、昨年あたりからは母がキッチンに立つことが辛くなっているようです。
私が両親のことをしょっちゅう気にかけるようになったのも、この頃からかもしれません。
弟や私と両親との関わり方
弟も私も、原則としては両親は元気で2人暮らしができているという視点で接しています。
もちろん、必要な手伝いはしますし、代わりにやってほしいと頼まれたことは代行します。
弟は、病院への送り迎えも頻繁にしてくれています。
おいしいものが手に入ったら届けにいってくれたりも。
でも家の中のことを手伝うことは、ほとんどしません。
…というよりも、母が何もさせてくれません。
ですから、私が実家を訪ねるのも、ほとんどが話し相手になるために行くという感じでした。
ただ、2年ほど前から母の口から出る言葉が変わってきました。
『今後のことについて相談したいから、一度来てほしい』
というようなことを頻繁に言うようになったのです。
ちょうどコロナ禍でもあり、なかなか実家に行くこともできずにいる頃でしたけれど、いろいろと心細くなってきたのだろうと推察していました。
こんな頃もあったのですけれどね。
日々変わる両親の思いや体調に、子どもたち(弟と私)は結構神経をすり減らしています。
そしていよいよ、両親の今後の暮らし方について本腰を入れて動き出すことになるのです。
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