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黙祷

74回目の原爆の日を迎えました。
8月6日、午前8時15分。
何をしていても手を止めて、テレビから流れる鐘の音を合図に黙祷をします。
ずっと以前…おそらくは私が物心つくより前…からの習慣です。

在宅している人はそろって。
外出している人は、ほんの短い時間でもよいから祈ります。
それすらも難しければ、せめて1日のどこかで思いを馳せます。

8月6日、8月9日、8月15日。
どれも決して忘れてはいけない日ですよね。
でも、若い世代を中心に、8月6日が何の日かという問いに答えられない人が増えているそうです。
8月9日にしても、8月15日にしても同じこと。
これって、大人の責任だと私は思うのです。
大人…といっても、社会や学校だけではなく親の責任。
幼いころから、毎年毎年その家なりの祈り方をして、 何らかの話をして…ということを繰り返していけば、少なくとも何の日か知らないということにはならないと思うのですけれど…。

戦争や戦時中の生活を直接体験している人がどんどん少なくなってきている…これは、戦後70年以上も経てば仕方のないことです。
でも、だからと言って忘れてしまってよいわけではありません。
逆に、だからこそ戦争をどう伝えていくか、どう学んでいくかということをよく考えて、次の世代にバトンを渡していく工夫をしなければ。

親である私たち世代にしたって、直接戦争を知ってはいません。
いえ、むしろ高度経済成長期に生まれ育ち、 平和で豊かな日本しか知らないのです。
それでも、『あの戦争』を次世代に伝えていくのは、 大人としての義務であり責任でもあると思います。
たとえ書物で得た知識や、経験者から伝え聞いた話といった間接的な体験であったとしても、きちんと伝えられると思うのです。
その努力を怠ってしまうと、戦争の恐ろしさを想像することすらできない人ばかりになってしまいそうです。
何かのイベントに参加するなどといった特別なことをしなくても、 親子で調べ学び考える…そういう小さな時間の積み重ねが大切なのだと私はずっと思っています。

広島の原爆死没者慰霊碑には、「過ちは繰返しませぬ」と刻まれています。
この言葉が『誓い』としてみんなの心に刻み込まれ、真摯に守られ受け継がれていけば、平和は続く…はずです。
私たちが繰り返してはいけない過ちとは何だったのか、やはり各自が考えておかなくてはいけないと思います。

今年の黙祷は、次男と2人でした。
起立して姿勢を正し、静かに目を閉じて祈りました。
帰省するために機上の人であった長男も、同じ時間に祈りを捧げたはずです。
お昼過ぎには、大きな荷物をガラガラと引っ張って帰ってくることでしょう。

懐かしい人たちとの楽しい約束がたくさん待っているはずです。
そのような楽しい時間を過ごせることのありがたさをかみしめる日であってほしいと思います。
そして私も、会いたい家族にいつでも会える幸せを心に刻んで過ごそうと思います。

「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」


2 COMMENTS

あんどーなつ

8月は祈りの月。
今年もまた、広島原爆の日がめぐってきましたね。
平和記念式典の様子をテレビで見ながら、
私も静かに祈りました。

昭和・平成・令和と元号が変わっても、
戦争の記憶が無い私達世代にとっても、
もっと若い世代の人達にとっても、
ひとりの日本人として、平和の尊さを
胸に刻む日でありたいですね。

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camomille

あんどーなつさん

毎年、テレビの中からはセミの大合唱が聞こえます。
こんな暑い時期に、熱い思いをしてどんなにか辛かったことかと思います。
どんなに想像しても想像しきれない凄惨な光景が、そこにはあったのだと思います。

西日本で暮らしていた小学生の頃、8月6日と8月15日は登校日でした。
暑い暑い教室で、先生のお話を聞いたことは今でも覚えています。
平和の尊さを胸に刻む日であるとともに、次の世代へ伝える日にも
したいと思います。

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