あの日から25年。
何年経とうが、大切な人を亡くされた方たちの悲しみや苦しみ、後悔の気持ちが消えることはないのだろうと思います。
遠く離れた関東で、その情報を知った朝。
どんどん大きくなる被害状況を伝える画面を呆然と見ていたのを覚えています。
当時、大きく揺れた近隣の県に住んでいた両親にすぐ電話をかけるも、全くつながらなかった時の不安、そのときの心臓の音も思い出せます。
つながるまで何度でも何度でもかけたかった気持ちも。
でも、テレビから流れる情報で、おそらく無事でいるであろうことは判断できました。
私よりもっと切迫した状況の方も多いだろう、電話は控えるべきだとわかっていても、やはり気になって気になって。
鳴らない電話を見つめて過ごす時間も長かったです。
夜になってようやく両親の無事を確認できて安堵したのも、昨日のことのようです。
幼かった息子たちとその日をどう過ごしたのか、それは思い出せないのですけれど。
東日本大震災で、自分自身が大きな揺れを体験し、真っ赤に燃える空を見たり、全く動かない交通機関を目の当たりにしたりしました。
スーパーの棚から物がなくなる光景も見ました。
実際に体験したわけでもない、阪神淡路大震災の日も同じくらい強く心の中に残っています。
その日の身体が震える思い。
私の生まれた神戸の街で被害が広がっていく恐怖。
真冬の早朝、まだ真っ暗な中でどれほど寒く恐ろしかったことでしょう。
追悼の集いの様子をテレビで見ていると、胸が熱くなり涙がこぼれてきます。
1月17日。
忘れてはならない日。
そして、祈りの1日でした。

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