昨日の記事でも少し触れましたように、今日は再来週に迫った次男の部屋のリフォームに備えて、家具の移動や片付けをしました。
クローゼットを造り付けにする予定ですので、今使っているタンスの行き場がなくなります。
これも私が結婚したときに購入したもので、次男が使うには使い勝手があまりよくなくてかわいそうだったのですよね。
リフォームで使いやすい部屋になってくれるとよいのですけれど。
そんなこんなで、どうしても処分することになる家具も出るのですけれど、次男の部屋から運び出すタンスは私たちの寝室で使いたいなと思っているのです。
そのためには、寝室の家具の配置も考えなくてはいけません。
ところてん方式で次々と動かすことになりそうです。
ま、そこのところは私が心配しなくとも、夫がパソコンで図面を描いて、家具がうまく動かせるかどうか、どういう段取りで動けばよいか、すでに計画が完成していました。
(↑ いつの間に…!?)
次男が仕事から帰宅した午後になってからでも、ほぼ予定していたことは片付きました(多分)。
私は大物を動かしたりする役には立てませんから、ウロウロしているだけでしたけれど、息子たちの学校関係・入試関係の書類で何となく置いてあったものなどをどんどん処分していきました。
そのあたりも気になっているところでしたので、スッキリしました~♡
さて、東京はここ数日とても冷え込んでいます。
しかも家具の大移動でバタバタするこんな日の夕食はお鍋!
いいですよね~。
準備が簡単で、おいしくて、身体がぽかぽかになって。
3人でテーブルを囲み、楽しく食事をしていました。
そのとき、ふと思ったのです。

あ、長男は今はこの家に住んでいないのだな
ひとり遠くに離れているのだな
食事中にこんなことを思ったのは、初めてでした。
長男の席が空いていることが、寂しいと思ったわけではないのです。
そのこと自体は珍しいことではありませんし、彼が家を離れてからもう8か月も経っているのですから。
でもなぜか今日はそんなふうに思ったのですよね。
そのことがとても不思議で。
長男は高校生の頃から部活の帰りが遅くて、夕食の時間が合いませんでした。
そしてここ7年ほどは、このブログでも何度か書いたように、ほとんど家で食事を摂ることはありませんでした。
長男と一緒にお鍋を囲んだ記憶って、ほとんどないのですよね。
ですから、お鍋に特段の思い入れがあるわけでもありません。
家を離れて以来、ひとり暮らしが寂しいと思ったことはないと、本人の口から聞いています。
LINEなどでのやりとりや、帰省してきたときの様子を見ても、そうだろうなと思います。
『ひとり暮らしで寂しいだろうな~』などと考えたこともないのです。
あの感覚、何だったのでしょうね。
《お鍋》というもののイメージが、家族揃ってワイワイとにぎやかにいただくもの…という感じで刷り込まれているのかしら?
今日のLINEのやり取りで、部屋が寒いという話をしていたからかしら?
いずれにしても、自分でも説明のつかない何とも言えない気持ちでした。
今月、このあたりの気持ちの置きどころが少しうまくいかないみたいです。
特に落ち込むとか辛いとか、そういうことはないのがありがたいですけれど…。
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